楽することが幸せと思ってた

昔はそう思っていた。今ももちろん思っている。でも、楽することは一時的な幸せに過ぎないと今は思っている。昔はリラックスして、のんびりして生きることが幸せだった。今はそれに加わって、何か少しだけがんばりたい、もう少しやりたい、という気持ちがある。

あと、自分は記憶力が悪い。前はそれに引け目を感じて、記憶力が悪いことで、人にすまないという気持ちを持って、一個負けていなければならないと思っていた。

でも、今は記憶力が悪いのは、私の元々の素質で私が悪いわけじゃない、と開き直っている。

元々、人並みになんて生きられない、できないことだらけの自分なのだから、何が悪い、と開き直ってしまった。もちろん、記憶力が悪いことで多くメモったり、そのために工夫することが一番大切なことで、それさえしていたら、それでいいと思っている。

あとは怒られようが笑われようが、私はどうせそんな存在なんだから、と思っている。

前は人の発する一言一言が自分にどんとやってきた。それはテレビの言葉も同じで、

毎日生きることがストレスだった。今はあんまりどんとこなくなり、すっと流せるようになってきた。それも、前の自分は被害者的に受け取っていたのかもしれないが、それは決して

私が悪いわけではなく、そういう風に言葉や物音が私に入ってくるから、そういう感じ方をしてしまっていたのだと思う。ただ、他人から見たら、被害者意識の強い人間となってしまうのは仕方ないのかもしれない。ただ、ひとつだけ、それは本人が悪いわけではないということをはっきり理解してほしい。誰だってこんな風に自分にどんと入ってきたら、衝撃を受けるし、

物がぶつかってきたように被害者的になってしまうと思う。

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